芥川は

 周りには見えない歯車が見えていたという。実はこれは病気なのだけれども(病名は忘れてしまった)、芥川はこれを「狂気」の前兆と思い、日々鬱々と暮らしていたという。

 教育実習のときに、生徒にどうしても芥川の魅力を知って欲しくて、彼の自殺とその自殺に対する佐多稲子の書簡を読み上げた私はただの文学馬鹿だなとつくづく思い返します。実習担当の先生に「私は個人的に楽しかったし、文学に興味のある生徒は楽しかったと思うけど、一般向けの授業じゃなかったね」と言われて教育って何だろうと思ってしまったことがありました。

 今は、そんな理想というものはなく、どうやったらこの子達が楽しく勉強できるのか、それだけを考えて頑張っています。助動詞はゴロでもなく、本当に「素」で覚えた私は簡単な覚え方など習得していません。ですからなんとかわかってもらえるよう例えを出して教えています。

 今日私が言いたかったのはこんなことではなかったのです。昨日は目をつむると目の周りが熱く、外側から内側に円を描くような光(にみえる何か)がじわじわと、それはじわじわと私を覆うような感覚にとらわれました。体も熱っぽく、なんだかふわふわとしてどこにいるのかわからないような、それでいてその光をずっと眺めていたいという(目はつむっているのだけれど)感覚に襲われました。目を閉じてその光を楽しみつつ、芥川の歯車を思い出していたのです。人は死や、そして気狂いにこんなに強く憧れるのは誰しも弱く「逃げたい」という気持ちがあるから。とレクイエムを聞きながらぼんやり考えるのでした。